「他人は変えられない」
「変えられるのは自分だけ」
よく聞く言葉だ
しかし、たまに
「そういう意味だっけ?」
という使い方に出くわす
今日もそうだった
「相手の嫌な発言が気になる」
「でも相手は変えられないから、
自分の受け止め方を変えないと・・・」
このように言うのだ
聞いた瞬間、
「それはとても難しそう・・・」
と思ってしまった
私が思う「相手は変えられない」という意味は、
「相手が嫌な発言をやめるべき」のように
一方的に相手にだけ変化を求めても、
他人は自分の都合のいいようには変わったりしない
というものだ
だからと言って、
「嫌だ」と思っている自分をねじ伏せて、
例えば
「もっとポジティブに受け取ろう」
とか
「そこから何か学びを見出そう」
とかするのは、同じくらい難しいと感じる
「自分を変える」とは、
「相手にとって都合のいい自分になる」ことではないと思う
まずはしっかり
「私は嫌だという気持ちに確かになった」
という事実を認めてあげたい
そのうえで、相手とどのような関係を望むのか
この関係性も、道徳のような「誰かにとっての理想」ではなく、
自分が本心から思う関係だ
「金輪際関わりたくない」というのも
常に選択肢のひとつとしてある
が、軽はずみに選ぶものでもなく、
極端さで言うと「良い関係で」と同じくらいだ(伝わるかな・・・?)
そして、自分の望む関係に矛盾しないように
「行動」を変えていく
それはもしかしたら、
「はなから近づかない」
かもしれないし、
「そんなふうに言われたらつらい」
と伝えることかもしれない
はたまた、
「信頼していたのにがっかりした」
とか、
「ただただ悲しい目で見つめ続ける」
というのもあるかも
書いていて気が付いた
この状況から一気に「良い関係」になろうとするのは
やはり至難の業だ(笑)
確かに、人間は一瞬にして考え方を変えられる
しかし、感情を思考でねじ伏せるようなやり方は、
自分の中のどこかにひずみを生むだろう
その一方で、人間関係は相互作用・バランスだ
相手の発言に対するこちらのリアクション(行動)が変われば
それに対する相手のリアクションも変わってくる
これが、私の思う
「人は変えられない、変えられるのは自分だけ」
のとらえ方だ
決して相手だけ、自分だけが変わるのではなく、
自分が先に変わることで、「相手も変わる可能性」がある
冒頭の発言は、「相手も変わる可能性」をはなから放棄しているように感じた
「良い人間関係」と同じくらい
「悪い人間関係」もあって当然だと思う
「好きにならないと!」なんてムリゲーは
一旦やめにしませんか?
そんなことを思ったりしてみた