『メディアはメッセージを凌駕する』
そう言ったのは立川談志だったか
もともとは、「メディアはメッセージである」のようだ
これは、カナダの英文学者マーシャル・マクルーハンの言葉
通常、メディアはメッセージを発信する器にすぎない
テレビやラジオ、新聞などは日々様々なニュースを発信している
それとは別に、メディアそのものが発する
メッセージというものがあるというのだ
例えば、億万長者が「お金を配ります!」というと、
「道楽でやってるのだな」というメッセージを暗に受け取るかもしれない
政治家が「お金を配ります!」と言えば、
「選挙対策だな」と受け取ることもあるだろう
つまり、「何を言うか」以外に「誰が言うか」というところにも
メッセージが含まれているというわけだ
そして、冒頭の「メディアがメッセージを凌駕する」
例えば、ニュースキャスターが「株価の下落」や「経済の停滞」など、
日本経済の危機を詳細に伝えるよりも、
泉谷しげるみたいな人が
「絶対くじけんじゃねえぞ!きっといいことが巡って来るからよ!」
と不器用ながらに訴えた方が、
えてしてみんなを奮い立たせることがあるだろう
最近では、Youtube大学の中田敦彦さんが、
「顔出し引退」を試みたことがあった
しかし、アバターで作った動画を
自分で「見ていられなかった」そうだ
そして、わずか1週間で「顔出し引退を撤回」した
自分自身こそが強力な「メディア」だったと気づいたのだろう
人間はその存在自体が様々な情報を発している
いわゆるノンバーバルな情報だ
そして、逆にそれをキャッチする能力も備えている
だから、メールやLINEよりも
電話が話が早いときがあるし、
電話よりも直接会うと
何も言わなくても分かり合えることだってある
親子、夫婦や恋人、
古くからの友人などは特にそうだろう
きっと生身の人間こそ、
最強のメディアなのだと思う
だから、このコロナ禍においても、
直接会うことを大切にする人たちがいる
発信力が重要視される時代
自分という最強のメディア
有効に使っていきたいものだ