※経済学の知識は全くない人間が書いています、ご容赦ください
昨日のみやこコーチとのセッション
終了後、少し雑談していた際、
「通知表をなくした校長がいる」
という話になった
てっきり、紛失事件だと思ったのは私の早とちり(笑)
「通知表を撤廃した」という話だった
通知表がなくなると、評価をつける「根拠」も不要
ということで、テストの配点も無意味になるらしい
そこまで聞いて、分析思考が数字にピクリと反応する
そもそも、テストの配点は本当に合理的なのか?
例えば、数学のテストだと
前半の計算問題は1問当たりの配点が小さい
後半の文章問題や証明問題は配点が大きい
国語の場合だと、漢字や選択問題は小さく、
記述問題は大きい配点だ
これらは、より複雑な問題や複合問題の方が
配点が大きくなるということで、なんとなく納得できる
疑問なのは、国語の配点15点の問題と
数学の配点15点の問題は社会的に同価値なのか?
というところだ
別に、整合性がとれてないのであれば
けしからんことだ、と言いたいわけではない
では、何が言いたいかというと、
もし、社会的価値が配点に反映されていたとしたら
何を重点的に学ぶべきか分かりやすくていいなあと思ったのだ
そもそも、基礎学力とか一般教養のようなものを
社会的価値という基準で数値化してはいけないのかもしれない
ただ、数字のネタに分析思考が騒いだ
ただそれだけのお話
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