コーチング

「ニュースを見て辛くなる」のは共感か?

共感しやすいタイプだから、辛いニュースを見られない

こんな声を聞くことがある

傾聴を学ぶ中で、

「共感とは、相手の感じていることをあたかも自分がそうであるかのように感じること」

という定義に出会った

そして、共感の関連情報を検索しているとあるキーワードに出会った

それは、「感情移入」

あるサイトによると、

「感情移入とは、自分の感じていることを相手に投影し、自分と相手を融合させること」

この「共感」と「感情移入」

まったく真逆のベクトルなのがお分かりいただけるだろうか

相手が感じていることをそのまま自分も感じてみるのが「共感」

自分が感じていることを相手に投影するのが「感情移入」

さて、ここで改めて冒頭の「ニュースを見ていると辛くなる」に立ち戻ってみる

辛いと感じている「主体」は一体誰か?

それは、ニュースを見ている自分自身だろう

自分が感じている「辛い」と言う感覚を、

ニュース自体もしくはその中の登場人物(例えば被害者など)に投影していると理解するのが自然ではないだろうか

仮に共感の場合には、上記定義からいうと、

少なくともニュースキャスターあるいはニュースの登場人物による「辛い」という感情の表現が必要であり、

その上で自分が「ニュースキャスターになったつもりでニュースを読みながら辛い気持ちになっているのを想像してみよう」

とか

「登場人物になったつもりでインタビューを受けながら辛くなっている状況を(想像の中で)体験してみよう」

ということになる

つまり、「ニュースを見て辛くなる」のは「共感」ではなく、「感情移入」だと思われる

だいたい、相手がどう感じているかなど、相手自身も言葉で表現しきれていない

だから、聞き手がそれを正確に感じられているかどうかなど確認のしようがないのだ

正解が分からない問題に対して回答が正解しているのか分からないのと同じことだ

実は、共感とは、正解か不正解か(できているかできていないか)という二者択一のものではない

相手自身が感じていることを表現しようとする努力と、

聞き手がその表現を理解しようとする努力、

この双方の努力の上に成り立つプロセス(確認作業)なのである

共感の効果は、話し手が聞き手に「分かってもらえた」と感じることよりも、

むしろ、話し手が自分自身のことを「そうか、分かった!」と感じることにある

つまり、共感のプロセスを経ることで、

話し手自身の「自己理解」が進み、「自己一致」に近づくのである

というわけで、長くなりましたが、

今度からは、「感情移入しやすいタイプなので、ニュースを見ると辛くなる」と言ってみてください!

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