コーチング

傾聴の土台のないコーチングは危険!?

一昨年の秋から、縁あって傾聴の学びの場に身を置いている

コーチングを学び実践する中で、自分の長所は他の人よりもちょっとだけ人の話を黙ってきくことができることだという仮説を持ったからだ

傾聴に興味があると周囲に吹聴して回っていると、とある講座を紹介された

まったく予備知識のない状態から飛び込んだにもかかわらず、そこでの学びは驚くほどよく理解できた

その学びの場だけに飽きたらず、ロジャース、ジェンドリン関連の書物を読み漁り、学びの裏取りをしたり、自分の言葉で理解を整理したりしてきた

そして、その傾聴の学びは、自分がそれ以前まで学んできたコーチングというものについて、かなりの部分を補っていると感じた

むしろ、傾聴こそコーチングと呼べるのではないかとさえ思えた

そこからさらに、傾聴の学びと実践を続けていく中で一つの仮説が浮かんできた

それは、コーチングとは、傾聴の土台の上で成立するものではないか

というか、傾聴はすべてのコミュニケーションの土台なのではないか

だから、コミュニケーションの1様式であるコーチングも当然、傾聴の土台の上において存在するものではないか

そう考えると、以前の私のように、傾聴を理解せずしてなにやらコーチングらしきものをやっているという状態は非常に危険な状態のように思えてきた

たまたま自分がコーチをやっているからと言う理由で、コーチのための傾聴基礎講座と題し、傾聴の学びの場を作ってみた

しかし、今になって、妙にこのタイトルが真実味を帯びてきたように感じる

まだ傾聴というものが理解できていないコーチはもちろんのこと、これからコーチングを学ぼうという人には、ぜひ先に傾聴を学んでほしいと思う

傾聴がカバーできる範囲が理解できるほどに、コーチングでしかカバーできない領域もまた明確になるからだ

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